アートの広場 Vol.06 『ぐりとぐら』
前回、『いやいやえん』について「保育者の言葉で書かれた、
日本で初めての童話」という松居直の評論があった話をしましたが
『ぐりとぐら』については、良い絵本とは子どもが見て楽しむものではなく、
入っていって楽しむものであると言っています。
物語論でいう「行って、もどって来る」の世界です。
そこに「入る」には確かな手ごたえがある世界でないと、入り込む事はできない。
子どもが我を忘れて入り込める世界、リアリティのある絵本という事になります。
そういう絵本に出会うと、その世界に入り込んで思う存分、心から楽しめると
子どもは、ためいきをついて “ ああ、おもしろかった ” と喜びを表します。
リアリティがなく、曖昧だったり、わかりにくいと「もう一回読んで~~」はない。
手に取るようにはっきりとした「世界観」があるかどうかの違いなのだろう。
話は違うが、以外とこれ大人の世界でも同じで、ビジョン・世界観が明確でないと
人は動かない。話し合いでも、口説きでも、プレゼンでも、モノを売る時でも
自分が本当に良いと思える。手応えがないものは説得できない、というか売れない。
絵本にもどると『いやいやえん』も『ぐりとぐら』にも “ 確かな手ごたえがある。
子どもが入っていける明快な世界 ” がある。
自己紹介は歌の中でされて、飽きるさせるような無駄なものはない。
イメージが自分の中ではっきりしているから説明的、解説的なくどさがない。
会話では「やあ、なんておおきなたまごだろう。おつきさまぐらいの
めだまやきができるぞ」「ぼくらのべっとより、もっとあつくて、
ふわふわのたまごやきができるぞ」と誇張があるが
子どもはこうした言葉とイメージの遊びをよくするものだ。
イメージは躍動し、積極的な表現をしている。
こうした子どもの共感をさそい、子どもを引き込んでいく力を持つためには
文章が目に見えるように書かれている事。子どもの関心事である事。
願望と空想が子どもの共感を誘い物語への参加を促している、等々が必要。
しかも、これらには読者を自分の世界へ引っ張り込もうというのではなく
幼児の中に語り込んでいく、とでもいうような語りの展開がある。
幼児の集団生活の中からの発想・表現であって
これらの発想・表現は外からの借り物ではなく
幼児の内から見ての語りになっている。
面白い絵本は多くあるが、ここが保育者の視点なのだろう。